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Wed.

はいはい、蘭亭序ですね  

前回は話が脱線して申し訳ありません。

冒険クエの話だったのがなぜか「DOL」の呼称についてという古いネタを再び使い回すとんでもない所行を…。


今回は脱線させずにいきます。


カリカの冒険クエ「唐代皇帝への興味」を受けましたという話です。
唐の太宗についての調査と思ったら、実は太宗が熱心に興味を持っていた王羲之についての調査だったという詐欺クエスト。
蘭亭序1

唐の太宗って房玄齢ら二十人余りに『晋書』を編纂させたんですけど、この『晋書』の「王羲之伝」には自身の史論を入れてます。『晋書』では他にも「宣帝紀(司馬懿)」や「武帝紀(司馬炎)」などにも史論を入れられてますが、そちらは政治的なものですけど、王羲之のところは書について熱く語ってます。これ完全に太宗の趣味です。

唐の太宗って王羲之の書のコレクターとしても有名です。
蕭翼という人がある寺にあった王羲之の代表作ともいえる「蘭亭序」をだまし取るというお話『蘭亭記』が残っていますが、この話で「蘭亭序」を手に入れるよう蕭翼に命じたのは太宗です。
他にも『隋唐佳話』にまだ皇帝になる前の太宗が蕭翼を派遣して「蘭亭序」を得たという話も伝わっており、太宗の王羲之収集は物語の材料になるほどのものでした。


正直、唐の太宗と王羲之の名前が同じクエから出てきたので『蘭亭記』の話が出てくるのかな~って思ったんですけど、そんなことはありませんでした。
結構有名な話なんですけどね。

さてさて、杭州について情報収集という名のスタンプラリーです。

蘭亭序2
「書聖」と言われていますけど、王羲之の真筆は現存が確認されてません。現代に痕跡を遺さずに名前だけを遺したその道のプロですよ。
だから王羲之の書なんて実は大したことがなかったんじゃ…って、現物が遺っていた頃から騒がれているんですからそんなことありません!!(^□^;)

蘭亭序3
この情報聞いたら発見物が蘭亭序であることはほぼ間違いありません。
中国史ヲタだったら王羲之+曲水の宴=蘭亭序というのは常識です。玄人になると王羲之の息子+罰ゲーム=王献之なんていうのもでてきます。
はい、何言っているかわかりませんね。

王羲之が会稽内史(三国志を知っている人なら会稽太守と言えば大凡その役職が想像できると思います)になった時に、曲水の宴を開いたというものです。
曲水の宴については上の画像にもあるように、流れてくる酒杯が自分のところに来るまでに詩を作れ、できなければ酒を飲めというアルコールハラスメント集会です。私の予想では多分このアルハラの方がメインの宴だったのではないかなと思います(いい加減な発言)

参加者40人余りです。41人とも、42人とも言われてます。
取りあえず42人だった場合の参加メンバーを上げておきます。



王羲之謝安謝萬孫統
孫綽孫嗣郗曇庾友
庾蘊曹茂之華茂柏偉
袁喬之王玄之王凝之王粛之
王徽之王渙之王彬之王蘊之
王豊之魏滂虞説謝繹
徐豊之曹華謝瑰卞迪
丘旄王献之揚模孔熾
劉密虞谷労夷后綿
華耆任凝謝藤呂系
呂本曹煙

青字が詩を2つ作った人。赤字は詩を一つも作れなかった残念な人。



王羲之や謝安と言った有名な人は詩を2つ作ってますね。
有名どころは大体詩を作っているということになります。王献之は例外ですけど。
参加メンバーを見れば、陳郡の謝氏、袁氏、潁川の庾氏、太原の孫氏と言った当時の政界にあって名だたる名家の人間が入っています。
他にも郗曇なんかは王羲之の奥さんの兄弟ですけど、郗曇の家は王羲之たちのいた東晋王朝の二大軍閥の一つである所謂「北府」に影響力を持っていましたし、虞谷は会稽の虞氏の人間で、王羲之の役職である会稽内史のお役所が置かれていた山陰という地の県令でもあります。
王彬之は瑯邪の王氏だったかどうか確認していませんけど、名前からすると瑯邪の王氏に近しそうな気もします。名前だけで判断してますけど。
この王彬之さんは罰ゲームを受けたくないあまり、封印していた力を解き放ち、見事に詩を2つ作りました。
しかしこの八ヶ月後に彼は戦場で命を失ってしまいます。もしもこの宴で封印されていた力を使い果たさなかったら命を落とすことはなかったでしょう…。
(注意:この話は半分フィクションです)
柏偉って人はどういった人だったんですかね。『晋書』には柏の人って司馬懿の側室の柏氏しか出ていないみたいですし…『増訂漢魏叢書』の『蘭亭集』には「柏偉」を「桓偉」としていますけど、恐らく「柏」の字を「桓」と誤写したものと思われます。
あと魏滂って名前は正しいですよね!? 本によって「郡の功曹の魏滂」と「郡公の曹魏滂」って二つあるんですけど、前者の解釈でいいですよね? 間違っていたらごめんなさい。
この記事では参加メンバーの名前しか書いていませんけど、一応王羲之の息子以外には肩書きみたいなものは付います。王羲之の部下っぽい人も何名か入ってます。そしてその人たちの家柄などを調べていけば、当時の任官事情みたいなものの一面がちょっとだけ見えてきたり…すれば面白いんでしょうね。


もうちょっと話を進めると、この宴が行われた永和九年(353年)の東晋にあって、最も影響力があった桓温に列なりそうな人っていますかね…。
やっぱり桓温の対抗馬である殷浩側に立っていた王羲之ですから、表だってそういうことはできなかったのかどうか…袁喬之が桓温のブレーン的な位置にいた袁喬(この時にはすでに死没していたようですが)の一族みたいですけど、あまり関係はないみたいですし。


マニアック過ぎてごめんなさい。
東晋の歴史知らないとついていけない話でした(T-T)

東晋なんてマニアック過ぎて誰も興味を持ちませんよね。
でも赤壁クラスの淝水の戦いがあったのは東晋ですし、大昔に某巨大掲示板で「これなんてエロゲ?」って言われた蘇峻・祖約の乱だって東晋のお話ですからね。
東晋だって意外にネタはありますよ。

さあ、東晋に興味を持った方は是非東●ハ●スクールへご連絡を!!
(注意:この話はフィクションであり、実在する企業・団体名とは一切関係ありません)


というわけで蘭亭序を無事発見しました。
蘭亭序発見

でもすでに蘭亭序のことなんて関心持ってませんよね。
どうせ「蘇峻・祖約の乱 エロゲ」で検索しているんだろ!!
検索しても殆ど情報なんてないですからね!!

もしも詳しく知りたい方は、明日から始まる私の有料ブロマガ「エロ過ぎる!! 蘇峻の乱!!」をお楽しみに!!(嘘)


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2012/06/27 08:00 [edit]

category: DOLっぽいの

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