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無茶振りされたんですけど!!!

この記事↓
万里の長城!

まさかの万里の長城!(^□^;)

先生! 万里の長城ってなんですか?(゚Д゚)ノ

世界遺産にも登録されているあれですよね?

なんてものをふってくるんですか!(^□^;)
動揺してますよ。


無茶振りに動揺する絶対フィクションと同性愛国家ネデルガチホモ_n_image


あんなク●長い城壁が存在していること自体がファンタジーです。
ファンタジーの世界ですらあんな長い城壁なんて考えられませんよ。
ポルトガル人宣教師クルスもタタールと中国の間に長大な壁があるという話を聞いたことがあるみたいですけど、この話をファンタジーとして扱っていますからね。
でも実在した…(^□^;)
この世界も実はファンタジーの世界だった…。

因みに講談社学術文庫から出ている『クルス『中国誌』』はDOLやっている人は読んでいないと恥ずかしい本100冊の一つに入っていますので未読な方は読むべきです!
オススメの箇所はサイの角が痔にきくというところですね。
他にもDOLプレイヤーが読んでいないと恥ずかしい本は、ネズミに耳をかじられ、ネズミ恐怖症に陥ったキャラの悲惨な姿を描いてネズミの危険性を説く名作『ドラえもん』とかがあります。


万里の長城なんですが、これはウィキペディアにも当然載っている項目なので説明しません^-^

記事しゅーりょー

このク●記事どこにしまおうo(^3^)o♪

って、冗談ですって(^□^;)
少しだけウィキペディアに毛が生えたくらいの説明をします。

長城の起源というか淵源となるものは中国の戦国時代にまで遡ります。
戦国七雄なんて言われた国々が、他国との境目に長城を築いたというのが万里の長城の淵源と言っていいと思います。
七雄の一の秦が残りの六国を滅ぼしたものの、北方には東胡・匈奴などの勢力が盛んになっていたために北方対策の一つとして秦や燕や趙の北方の長城を修築・連結させたのが現在の万里の長城の始まりとされています。
始皇帝が三十万を動員して匈奴と抗争し、オルドス地域を占拠したということがありました。これは一般にオルドスの豊かな草原地域を手に入れるために行ったと言われています。
この始皇帝の軍事活動をもう少し広く見ると、匈奴との抗争のほぼ同時期に百越という南方の諸勢力とも争っています。しかも動員兵数は対匈奴の三十万を上回る五十万です。
どこにそんな力が…(^□^;)

南方では長大な長城を築くということはしてませんが、それでも要所要所に砦を築いていますし、対匈奴・越諸勢力との大規模な戦争ですから軍用路も整備されています。長城の構・修築というのはそうしたものの類いです。
でも南方では長城を築かれていないということは、やっぱり遊牧/牧畜生活などをしている方々の騎射戦法を警戒してのことなんでしょうか。

この長城は主に土を固めたいわば土塁みたいなもので、高さも今の万里の長城のような高さのある物ではなく馬が容易に超えられない程度のものだったと言われています。
でも馬とかが容易に超えられないというのは結構重要で、戦術という意味でも有効だったんでしょうが、上述のように放牧地を巡る抗争と考えた場合は、放牧地の途中に馬(というか家畜)が容易に超えられない障害があるだけで遊牧/牧畜活動には大きな負担になります。一頭や二頭の家畜だったら容易に超えられなくても人間が手助けすればいいでしょうけど、家畜の数なんてそれ以上でしょうから遊牧/牧畜する人たちにとって長城はかなり大きな壁に感じられたことでしょう。

その頃の長城の一部が現在も残っています。考古学とかで詳しい調査報告みたいな物があると思いますけど私は見たことがありません。一応土塁だったんじゃないかというものは史料の方にも残っていて、えっと…確か『古今注』だったと思います( ̄▽ ̄;)
いえ、かなり前に見た記憶があるので確たるものではないですけど、確か秦の築いた長城は皆土の色が紫で「紫塞」と呼ばれたという記述がありましたので、ここからも土塁であったとうかがえます。
漢の武帝の時には河西回廊といわれる辺りに長城を築いたりしていますが、土砂の中に木の枝を混ぜて固めていたりします。
この秦漢の長城(と言っても秦と漢の長城って微妙に重ならない部分もあるんですが)の全容ってはっきりとわかっていません。

もうちょっと後の時代、南北朝時代の北の諸王朝の長城が現在の万里の長城の原型であるという考えの人もいます。
北朝での長城は北方にいた柔然・突厥といった勢力に対したもので、『魏書』巻五十四「高閭伝」にある高閭の上表に「(北狄は)野戦を得意とし、城攻めを苦手とする。もし北狄の苦手とするところを以てその得意とするところを奪えば、(北狄が)多勢であるとしても患いになることはない」とあり、北方勢力に対する軍事的対応策の一つとして相手に城攻めをさせるというものがあって、長城修築とその活用はそうした対応策の中に含まれていたものと思います。
隋の煬帝至っては百万人を動員して長城修築をしたといわれてます。これって始皇帝の時よりも大規模な動員数です。悪い奴ですね~

ちょっとここで中国史のお勉強です。
北朝というのは華北を支配した北魏がまずあり、北魏が東西に分かれ、西魏が北周に、東魏が北斉になり、北周が北斉を滅ぼし、最後は北周の実力者で外戚の楊堅が北周の皇帝から禅譲という形で皇帝に即位して隋ができたというものです。
そして華北よりも北には突厥という勢力があり、北周・北斉の双方から朝貢をされていた勢い盛んな存在でした。隋の時代の初期に突厥と隋は戦争をするようになるんです。一つの原因として、突厥の首領の妻が北周宇文氏の出で、北周を絶った楊氏に宇文氏が恨み、夫へ毎日のように恨みを晴らすようにと言ったという話がありますから、北周宇文氏の再興という面があったと思います。
しかもこの宇文氏を突厥へと嫁がせたのは北周の実力者だった楊堅が突厥の内部分裂を狙って行ったものだったんです(平田陽一郎氏の説)から歴史の皮肉というかなんというか…。

突厥が隋に攻勢をかけます。
『隋書』巻一「高祖紀上」開皇二(582)年五月の条に「高宝寧平州を寇し、突厥長城に入る」とあり、その年の末には長安に迫ろうかというほどのものであったとか。
隋は突厥に対して経済封鎖ともいうべきものを行います。これは絹馬交易の利益に大きく依存していた突厥の経済と、その利益を諸部族に分配することによって大きな勢力を維持していた突厥をまとめていた政権にとっては大きな痛手であり、突厥が分裂しかねない危機でもありました。実際は楊堅が皇帝に即位した時から突厥への経済的な締め出し政策があり、突厥側が大攻勢をした本当の理由はそっちの方にあるのではないかという見方があります。

そして突厥が大攻勢をしかけた翌三年に隋は反撃に転じ、突厥側は隋と和議を結ぶことになるのです。これは隋の勝利と言ってもいいでしょう。
和議において突厥は自分たちの家畜と隋の絹との交易を望んでいます。
こうした事があって隋と突厥の関係は北周・北斉の頃の立場と逆転しました。
この立場逆転というのは国際関係的には結構影響があって、煬帝の時に周辺国へ遣いを寄越すようにしきりに言うんですけど、そうしたことの布石になっていたのは突厥との関係があったとも言われています。これについては護雅夫氏などの研究が代表的でしょうか。あれ、でも護氏と布目某氏との間で行われた批判に次ぐ批判、反論に次ぐ反論というものもあったのでそこは用心して読まないといけません。

そして煬帝の時代には大がかりな土木事業の一つとして長城修築があるんです。これは確かにかり出された人たちにとっては苦役極まりないものだったんですが、文帝(楊堅)の時代の突厥との抗争を踏まえると長城修築というのは隋にとってはある種象徴的なものに見えますよね。
そう、煬帝の長城修築は隋の国際秩序を築くための一つの象徴だったのだー




んなこたーない



って、なんか思いっきり長いんですけど!(^□^;)
予定だと明までやるつもりだったんですけど長すぎるのでここで終わります!
もうここまででいいじゃないですか。
万里の長城からここまでやったんですからもういいですよね?
もういいよと思う人は拍手してください。
まだやれという人は前回の記事の拍手を押して下さい。
というか今読み返すと結構穴があるんですけど…もう直したくない!
苦情とかもやめてください!

というかこの記事見るなあああああああああああ!!!!
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2012/05/14 08:00 [edit]

category: 歴史

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まとめtyaiました【無茶振りの記事は非公開で(期間限定一般公開版)】

無茶振りされたんですけど!!!この記事↓万里の長城!まさかの万里の長城!(^□^;)先生! 万里の長城ってなんですか?(゚Д゚)ノ世界遺産にも登録されているあれですよね?

まとめwoネタ速neo | 2012/05/19 04:05

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