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なんかマイナーなところが…

それでも三国志演義とか横光三国志を読んだ人なら記憶に残っていると思います。
劉表の子供です。劉表には二子おり、長子が劉琦で次子が劉琮です。
劉表は劉琦の風貌が自分の類いであることから甚だ可愛がっていたみたいです。ただ劉琮が劉表の後妻蔡氏の姪を妻としたことで、蔡氏は劉琮を可愛がり、逆に劉琦を悪むようになったことや、蔡氏の弟の蔡瑁や劉表の外甥の張允なども劉琮と親しい関係だったことから、劉琦自身は不安を感じており、ある人に助けを求めるのでした。

そのある人とは諸葛亮です。
劉琦は諸葛亮のことをかなり高く評価していたみたいで、身を守る術を諸葛亮に相談しようとするのですが、諸葛亮はいつも断っていました。
そこで諸葛亮を高楼に招いて宴を行い、その隙に梯子を取って降りられなくすると同時に二人の会話を誰かに聞かれなくする状況を作って、ようやく諸葛亮から身の保全の方法を教えて貰うことができました。
この逸話は三国志演義にも入れられており、いつも罠ばかり仕掛けている孔明を罠にかけたという数少ないシーンの一つになっています。

そして諸葛亮から暗に言われた身の保全の方法ですが、それは内にいるよりも外にいた方が安全というものです。
つまり家出……世が世なら諸葛亮もなんとか幇助の罪で起訴されてもおかしくない状態なのですが、果たして立件することが可能なのかどうかという微妙なところ…恐るべし孔明!

無駄話をして行数を稼ぐという私の悪い癖が出ました。
話を進めます。

つまり家出…じゃなくて劉琮一派のいる所から離れた所へ行くことで身の安全をはかろうとするものです。
そして孫権が江夏を攻め、そこを守っていた黄祖が敗死すると自身が江夏太守となって同地へ赴き、見事危険から脱すことができたというお話でございます。

さて、劉琦についてのお話はこれで終わりです。

本当に少なすぎですね。
そこでおまけとして劉琦がなった江夏太守の前任者ともいうべき黄祖について無駄な話でもします。

黄祖は劉表の配下で、江夏太守だったということなのですが、いつ劉表に仕えたかなどはわかっていません。
劉表と孫堅が争った時には兵を率いて孫堅と戦ったんですが敗れてしまいます。
ですが勝ちに乗じて黄祖を追ってきた孫堅は逆に黄祖の部曲によって射殺されるという不運に見舞われるのでした。
孫氏の側からみると黄祖は仇敵中の仇敵といえるのかもしれません。
孫堅の子らが揚州に勢力を置くと、何度も黄祖のいる江夏を攻撃しています。
親の仇ということだけではないとは思いますが、何度も戦っているということは江夏の黄祖という存在が孫氏側から見ると邪魔な存在だったということなのでしょう。

さて、そんな黄祖について一つ面白そうなネタを呉金華『三国志校詁』から盗用します。
呉志「孫破虜討逆伝」の注に引く『江表伝』に黄祖の子の黄射を「太子射」と書かれているんですが、黄祖って王かなにかを僭号したということになるんですか?
盧弼の『三国志集解』には周寿昌の言葉を引いて黄祖は劉表に属していたから僭号することはないとして、太子は長子の訛化したものではないかと述べてます。そうなると『文選』巻十三の禰衡の「鸚鵡賦」にもある「黄祖太子射」というのもまた長子であったということでしょうか。
私自身は長子が変わって太子になったかなって思います。黄祖自身の性格や江夏太守になったことでこうしたことが起きたという考えもあるんですけど明確なことはわかりません。

ということで上手く行数を稼ぐことができたので今回はこの辺でしゅーりょーです。
次回は伝説のあの武将「糞●爪●」が登場!?
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2012/04/01 08:00 [edit]

category: 三國志「今週の武将」

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