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今週の武将「黄忠」  

三国志知ってる人ならお馴染みの老将黄忠です。

三国志演義でも初登場早々関羽と一騎打ちを演じています。
関羽との一騎打ちという生存率の低い戦いで百回以上も打ち合うことができた人って黄忠と龐徳くらいですよ。
なんて勇猛な老将。

陳寿の『三国志』においても伝が立てられ、内容こそ少ないものの、その勇猛さはちゃんと書かれています。
元々は劉表の配下であったものの、劉表の死後は荊州に進出した曹操の官を受け、後に劉備へ仕えることになったのは皆さんもご存知のことだと思います。
で、黄忠の勇猛さを伝えてるところは二つ。
一つは劉備が蜀へと進出した時のことで、黄忠は常に先頭に立って敵陣を落とし、その勇猛さは三軍の冠であったというところ。
そしてもう一つは黄忠最大の武勲を上げた劉備の漢中攻略戦の時です。
定軍山において夏侯淵の軍との戦いで僅か一戦で敵将の夏侯淵を討ち取るという大功をあげますが、その時の黄忠の軍の勢いは「金鼓は天を振るわし、歓声は谷を動かす」ほどのものだったと書かれています。

そしてある生粋のマニア先輩は「歓声って喜悦の声だから」というツッコミを入れ、「歓」は「讙」の借字、ひいては鬨の声であるという妥当な結論が出ていたにも関わらず、それを無視して戦いの時に谷を動かすほどの喜びの声を上げた戦闘狂黄忠なる人物像を作り上げようとしたことがありました。

という無駄な話を入れておかないと黄忠について書くことがありません。

この人の具体的な活躍って夏侯淵を討ち取ったくらいですから。
劉備が漢中王となり前後左右の将軍を任じたときに黄忠が後将軍になって、同じく前将軍に任じられた関羽が黄忠と同格であることに怒ったというのもある意味理解できます。
まあ、あの時の劉備の人事って漢中の守りに当たるのは張飛であるという多くの人の見方に反して魏延を督漢中・鎮遠将軍・領漢中太守にしたりと驚くことをやってます。
黄忠を後将軍に任じようとしたときに諸葛亮が劉備に黄忠の名望は素より関羽・馬超と同じではないことを述べているので、劉備の人選ってそうした名望とかをあまり気にしないようなものだったのか、それとも違う思惑があってこれをやったのか…(書くことがないから無理矢理引っ張っているところ)

さて、黄忠は後将軍になった翌年にこの世を去っています。

ですけど演義ではこの後も出番があり、劉備が関羽の仇討ちとして呉と戦うところで、関羽や張飛の息子たちが活躍する中で劉備が老人は役に立たないと言ったことで75という年齢にも関わらず前線に立って敵将史蹟を討ち取るものの、翌日敵を追撃し過ぎて逆に四方から攻撃され、その時の戦いで肩に矢を受けたためにそれが原因で死ぬというものです。

それよりも前の演義第七十回で葭萌関を張郃が攻撃してきた時に、このことへの対処を劉備陣営で話していましたが、自ら名乗り出た黄忠に対して諸葛亮が高齢であるから張郃の相手にはならないと言って、黄忠を発奮させたという爺ネタがあります。
劉備もまたその爺ネタを使ったということなんでしょうけど、逆に黄忠を死なせることになったということで、爺ネタを安易に使ってはいけないという教訓がここには含まれています。
そう、お年寄りを馬鹿にすると意地になってなにかをしようとするので逆に危険なことになるということを私はこの記事を通して言いたかったのです(今てきとうに考えた)

皆様も爺ネタを使う時は十分に気をつけて下さい。
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2012/03/25 08:00 [edit]

category: 三國志「今週の武将」

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