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Thu.

お蔵入りの記事  

ちょっとこのブログの過去記事を見ていたんですけど、なんと下書きのままの記事が十数件ありました。
見てみると記事のうちの半分以上が書きかけのもので、今となっては何を書こうとしたのか正確には憶えてません。
そんな中に、一応完成しているような状態の記事が幾つかありました。
でも載せていないということは、載せられない理由というのがあるんだと思います。
まあ、このブログがまだ非公開だった頃に書かれた記事なんかは公開できないものが結構ありましたので、それに比べたら・・・。
さて、今回はその下書き状態という中途半端な記事を一つだけ公開します。
決して現在BC期間で、ブログを書くのが面倒だから公開するというわけじゃありませんよ。

これは2009年の夏から秋頃に書かれた記事です。
この当時は、まだエルオリエンテ前ですから、東アジア実装についてあれこれと妄想している時でした。
例えば中国の歴史上の人物(NPCとして登場)は誰かなとか。
そこである人物を思い浮かべたんです。

本来はその人物について書こうとしたんですけど、結局人物じゃなくてあの時代の政治状況の一面を簡単に書いただけでした。
今読み返すと結構穴だらけです。
例えば、当時の財政状況とか対外関係とかが無視されてます。
お蔵入りにした理由ははっきりと憶えてますけど、内容が薄いことと、非常に偏った物の見方をしていることです。


それでも今になって公開するのには一つの理由があります。

BC期間中だから記事を書くのが面倒…。


確かDOLでの東アジアは1580年代後半から90年代くらいっぽいから、明の政界は顧憲成がいるかいないかの状況でしょうかね。
わからない人はぐぐればウィキペディアあたりに載っているでしょう…と思ったら載ってなかった。
(2011年現在はウィキペディアに「顧憲成」という項目はあります)

この人…というよりもこの人が現れた時の明の政治についてちょっと話します。

えっと、明朝ってのは皇帝専制といわれる体制でして、皇帝が強力な権力を持ってました。
つまり様々な権限が皇帝に集中されている状態でして、とても皇帝一人じゃ捌ききれないということもありますので、その補佐役として内閣大学士というのが現れるんです。
内閣は行政部署よりも位というか、公的な権限は低かったんですけど実質的に皇帝の権限に影響を与えてますから、その重要性は増します。

皇帝が精力的に政務に取り組む状態なら相対的にこうした職にある人の権限は低くなりますが、皇帝がそれほど政務を顧みない場合だったらこうした職の人は絶大な権限を持つことになります。

DOLでの中国の支配者と思われる万暦帝の治世の前期にいた張居正という人はその権限をいかんなく行使した人で、例えば全国規模の検地を行って税収アップを計ったり、一条鞭法の促進をして税役の効率化したりして明の財政を立て直したんです。

地方の金持ち地主が税役を逃れをしていないか農地や戸籍などを厳しく調べたり、それまでの租税と労役という税役の規準を銀納に一本化して民衆の負担軽減をはかったり…。
金持ちの地主さんの中には登記簿を誤魔化して税役を他の人に押しつけたりするという酷い人もいたのでこうしたことに対して効果があったんでしょうかね。

まあ、これだけみるといい政治家なんですけど、やっぱり問題点というのもありまして、税制ということでは銀が比較的入手が容易なところならまだしも、そうじゃないところは銀納の恩恵に預かれません。
銀納するために銀を入手しようと、それまでの生業を大きく変えてしまうという人も出てきて実質負担増というところになったということも…。
結局これも公平性ということからいうと問題があったということです。
何を以て公平なのかとか、完全(に近い)公平など現実的に不可能であるという議論もあるでしょうけど、ここは大人な対応で聞き流してください。

加えて張居正が独裁的で、自分に従う者は重用し、批判した人間は処分するのですから…その強権も批判されます。
反張居正派といえる人だけはなく、傅応禎・劉台・呉中行・趙用賢といった張居正の門生からもきつく批判されるという事態が起きており、特に劉台などは張居正から殊の外厚い恩を受けていたと張居正批判の上奏で述べていますから、それでも批判をするということは張居正がかなり強権的だったということでしょうか。
もちろんそれだけではなく、こうした張居正側と思われる人たちがどうして批判の先鋒に立ったのか、当時の官界がどういう空気(輿論)だったかのということも含めて考えてみないとですね。

もちろん批判した人はみんな処分されちゃってます。

そして誰も彼を批判しなくなるという恐怖政治になるのでした(大袈裟?)

張居正の死後、しばらく後に張居正批判が猛烈な勢いで行われたのはその反動でしょうね。
なぜそこまで批判されるのか…。

一つは官僚と地方の地主たちとの結びつきであると考えられます。上述したように地主層の人たちが税役逃れなどをやるにはやっぱり人脈も大切ということで…。それは結局下層の人たちへと負担が移ってしまうことになるので張居正はこれを防ぐために色々な政策を行ったのでそれに対する地主達からの反発があったと…。

そしてもう一つ、これは福島佳子氏の考えですが、地域格差があって、経済的中心地の江南から出る官僚が中央政界の多数を占めており、政界の輿論もまた江南の人間が利するような状況になってしまうことになるので、それ対して張居正が管理任用制度について手心を加えて是正したため、反発があったということです。


そんな状況で顧憲成という人がもう少し地域の声も聞くべきであると唱えました。
もちろん、地方の地主たちは顧憲成を支持していただろうことは想像に難くありませんよね。
ただこの独裁的なものは張居正一人のせいということではありません。
張居正死後も顧憲成は内閣大学士らを批判していることから、制度的な問題だったということです。

こうした対立などがあって顧憲成は遂に政界から離れます。

顧憲成は故郷に帰って宋の時代にあったといわれる東林書院というところを再建して、そこで在野の政治活動を始めます。

この顧憲成らを支持するグループを「東林党」というのです。
彼らは多分地方重視、というか政治を中央からのトップダウンの形じゃなくて、地方の実情に合わせたやり方をすすめようとしたんでしょうかね…。

そうなると当時皇帝の信任を受けて代官として地方各地に派遣されて私利私欲を貪った宦官たちの悪行が耳に入り、宦官を排除しようという論に発展するわけです。

その後弾圧されるんですけどね。

この東林党と内閣大学士らの政争に絡んで、中国東北部の軍閥で、後金(後の清)の建国者ヌルハチのパトロン李成梁が役職を東林党によって剥奪されて、経済的問題を抱えたヌルハチが明からの独立を本格化させたという見方もあります。

まさに歴史の罠…。

でもきっと顧憲成なんて出ないんだろうな~




以上、お蔵入りの記事でした。
かなり間違いがあると思いますので本気にしないでください。

後日消すか非公開にします。

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2011/02/17 12:00 [edit]

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