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ここから瓦氏夫人が出てきます。

というか、ここと倭寇のところしか出ないんですけどね。




前回の記事に終わり書きましたが広西西部、特に田州は二つに分割されてその一方を岑猛の四男岑邦相が治めることになりました。
四男ということは少なくとも男の兄弟があと三人いるということです。

ここで岑猛の男子について…

長男 岑邦佐 正妻張氏の子 武靖州土官
次男 岑邦彦 う林氏の子(一説には瓦氏夫人の子とも)
三男 岑邦輔 母は身分が低い その他のことは不詳
四男 岑邦相 韋氏の子

長男の岑邦佐は田州ではなく武靖州の土官となったことは、岑猛が林氏を寵愛して正妻の張氏を疎んじたためとも言われております。岑猛が明と戦ったときにはその職から退いておりましたが、その後王守仁によって再び同じ職に任命されました。
そして次男の岑邦彦は岑猛が明と戦ったときに死亡しており、身分の低い母を持った三男はスルーして世継ぎとして四男の岑邦相が田州を治めることになったという田州岑氏のお家事情がありました。

そして岑猛の兵乱がなかったら岑猛の後を継いでいたかもしれない次男岑邦彦には岑芝という子がおりまして、祖母にあたる林氏と瓦氏のところに身を寄せていたのです。

これはもうお家争いというお約束な構図ですよ。
と言っても林氏・瓦氏と岑邦相の対立の直接的原因は、岑邦相が林氏と瓦氏の田畑を削っていたことみたいです。

そして田州と田寧の政争というのも出てきました。
廬蘇が政治的影響力を強めてくると、岑邦相がこれを快く思わず、密かに廬蘇を殺害しようと謀るんですけど、このことを廬蘇は知ることになります。

こうして林氏・瓦氏と廬蘇が手を結んで岑芝擁立を謀るのです。

廬蘇は刺客を用いて岑邦相を殺害しようとしますが、これは岑邦相が察知して逆に刺客を返り討ちにします。
しかし廬蘇は兵を伏せており、岑邦相に味方する者を殺害した後に岑邦相の邸宅を包囲して、夜に乗じて岑邦相を縊り殺しました。
この廬蘇の岑邦相殺害は瓦氏夫人と共に行ったことが『明史』巻三百十八「広西土司伝」田州の条に書かれております。
なんという烈女…。

岑邦相を排除したことで対立は終わったと思えるかに見えたのですが、事態はさらに大きな事態へと発展します。

廬蘇らのこの行動に対して周辺の土官が反発し、岑猛の長男である岑邦佐を擁立して軍を起こします。

反廬蘇軍は田州を攻撃して多くの人を殺掠し、廬蘇も這々の体で難を逃れる有様でした。
そして廬蘇は帰順州に救いを求めるのです…この時帰順を治めていたのは瓦氏夫人の兄弟の岑瓛(シンケンって読みます。字が潰れててごめんなさい)です。
また廬蘇の娘はこの岑瓛の妻だったという…こうした関係から岑瓛は反廬蘇軍の首謀者の一人の根拠地が手薄になっている所を攻撃しようとし、これを聞いた反廬蘇軍は兵を引くんです。
そこを廬蘇軍が追撃して大勝利をおさめる…ということで反廬蘇運動を押さえ込むことに成功します。

こうして岑邦相の後継として岑芝がたつことになります。

一連の流れから、瓦氏夫人の田州での立場がかなり重要なものだった(もしくはその後否応なく重要になっていった)といえるでしょう。

その十数年後に岑芝が世を去り、瓦氏夫人が田州の執政となったこともそうしたことの反映だったのかもしれません。
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2009/08/05 00:00 [edit]

category: 瓦氏夫人

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