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さて、前回の続きです。

岑猛が妻の瓦氏夫人の父である岑璋に殺害されて兵乱はおさまりました。

明は岑猛の治めていた田州の処置を直ちに行います。

1,将を一人選んで兵を訓練させてこの地の治安をはかる
2,田州の有力勢力の長の名称を明朝の法に合わせて改め、俸給を与える
3,官製学校を置いて教化する(所謂漢化政策)
4,お上の倉庫の設置
5,田州の税に関すること(2年以上前の未納分の免除とそれ以後の徴税の猶予)
6,明朝の直接支配のための同地の官職の整備

これは両広(広東と広西)都御史から提議されたものです。
本当はもう一つあげられていたんですけど、田州には直接関わることじゃなかったので省きました。

1については軍事的治安的なものですし、2と6は田州の直接支配のための体制改変政策でしょうし、4は徴税権の問題で、5は4を行うに当たっての田州の現場を鑑みてのことでしょうし、3は…まあ、そうでしょうし。

これは朝廷に採用されて実施されることになりました。

しかし、この直後にまた大きな出来事が起きるのです。


田州の有力者の一人である廬蘇が思恩府の王受らと共に岑猛の四子岑邦相を擁して反乱を起こしたのです。
廬蘇らは岑猛は実はまだ生きていると吹聴し、また大越(ベトナム)から二十万の兵を借りて明に対しました。

この反乱が起きた年のベトナムの情勢ですが、黎朝大越は実力者の莫登庸によって時の皇帝は無理矢理禅譲させられて滅亡し莫朝になります。
この反乱が起きた数ヶ月後の出来事です。
この時、廬蘇らを支援した人物は時の権力者莫登庸であることは『明世宗実録』巻七十四の嘉靖六年三月の条に書かれているので恐らくその通りでしょう。
ただ二十万の兵を借りたというのは誇張な気がします。

本来禅譲という大事な時期にこのような出兵があったことについて谷口房男氏は疑問の余地があると述べております。
しかし莫登庸の側からすると、王朝を建国しようという時に隣接地の広西で交流があったであろう土着勢力の力が弱まり、代わって明朝の影響力が出たとなるとあまり歓迎できることではありません。
ただでさえ明は広西に八万という軍を送り込んでいたのですから、明朝のその軍事行動が広西だけを意識したものであったと考えるよりも、やはり大越を意識した軍事行動であったと莫登庸側も思っていたことでしょう。
そうなると反莫登庸の勢力が広西を平定した明と結ぶかもしれませんから、莫登庸もこの対外的反乱支援は国内の反対勢力が明へと近付き難くするための行動であったと見ることもできます。
あくまで想像の範囲ですが。


無駄に長い妄想だった…(T▽T)


さて、莫登庸の支援を受けた反乱軍と「岑猛は実は死んでいなかった」という流言で田州はおろか広西西部は大きく動揺しました。

田州だけではなく思恩まで攻撃されて落とされようとしている状況に至ると、両広都御史の施策が失敗であったということになり、明の皇帝は大いに怒りまして、建議した人物に代わって王守仁を起用して反乱の平定に当たらせました。


王守仁…陽明を号した人です。
わかりましたね?

陽明学のあの陽明です。

前回の記事で岑猛が時の実力者である宦官の劉瑾に賄賂を送ったなんて話をしましたが、この人はその劉瑾の罪を上奏したために辺鄙な地域に左遷させられた人です。
でもそれによって陽明学が成立したと言っても過言ではないんですけどね。

儒学史において一大画期を起こした人ですが、軍歴というのもあるんですよ。

明の宗室である寧王が十万の兵をもって反乱を起こしたときに鎮圧したのはこの人です。


こんな人が来るんですから反乱側も動揺したことでしょう。

廬蘇と王受の二人は王守仁が来ることを知るとその軍門に降り、王守仁も二人の罪を数え上げて杖で打ったあとにこの二人を釈放し、これによって反乱は鎮静することになります。

王守仁は朝廷に上奏して兵を用いることの害を述べて果断な措置を取りやめることを提言し、皇帝もこれを受け入れました。

そして田州府を二つに分割(田州と田寧府)し、田州を岑猛の子の岑邦相に統治させ、田寧府は流官(土官じゃない任期で方々へ赴く官)知府を置き、廬蘇を田寧の要職に付けました。思恩府に対しても王受が廬蘇にされたような待遇をしたのです。

王守仁の一連の対応には明の朝廷の中でも批判がありましたが、この政策は王守仁がいなくなった後も継続したどころか、田寧府を廃止して廬蘇らの土着の官に田寧の地を治めさせております。
土着の勢力を一時的には押さえ込むことはできても再びその勢力を回復させるようになっていることが特に目を引きますよね~

明の地方支配の難しさってこういうところからも見られるんじゃないでしょうか。


って、瓦氏夫人が全く出てきていない!

ここまで実は前置きでして…(本編よりも長いという)

次回瓦氏夫人が出てくると思います(T▽T)
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2009/08/04 00:00 [edit]

category: 瓦氏夫人

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