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瓦氏夫人のいた時代の広西の西部において二つの勢力が主導的でした。
思恩府と田州府です。
広西の東部は明の直接的統治が行われるようになったのとは対照的に、この西部は土着勢力が統治するという間接的な明の支配地域でした。

瓦氏夫人もこの地域の帰順州の土官岑璋の娘として生まれています。
そして瓦氏夫人がまだ「花ちゃん」と呼ばれていたであろうときに、この地域で大規模な軍事行動が起きたのです。

思恩府土官知府の岑濬が田州を攻撃してこれを攻め落とし、田州土官知府の岑猛が僅かな者たちと落ち延びるという事件が起きるのです。
この事件が起きた年は諸書によって違うんですが、弘治十五(1502)年~同十七(1504)年の間みたいです。
因みに岑猛が落ち延びた先は瓦氏夫人のいる帰順州ということですから…この時に二人が会っている可能性はありますよね~

さて岑濬が田州を攻め落としたことで明の朝廷は岑濬討伐を行います。
広西と広東の官軍と土官土兵に湖広の官軍と土兵の計十万八千の軍が六つの進路で攻撃をします。
十万を超える数の上に明朝で最強といわれた湖広の土兵の編成ですから、明朝の本気さがわかります。

というのも、明朝がこの地域の土着勢力をこの機に乗じて弱体化させて直接支配を浸透させようとした意図があったと考えられます。
もちろん十万以上の軍勢ということは岑濬の勢力を明朝も甘く見てはいなかったことでしょう。
広西は「湖広土兵」と並び称された「広西狼兵」がおり、岑濬が手に入れた田州はその兵を輩出する地だったのです。
こうした事情から明の朝廷は速やかに岑濬を討伐しなくてはいけないと考えたのでしょう。

この討伐軍は一月ほどで岑濬を攻め滅ぼすことに成功します。

この後、田州をおさめていた岑猛は職場復帰というわけにはいかず、福建への左遷を命じられ、思恩・田州の二府は中央政府が決めた非土官の張鳳と謝湖によっておさめられることになりました。
岑濬の乱後、明はこの地域の支配を強化する施策をとったのです。

もちろん施策に対して土着勢力は反対運動を起こします。
左遷を命じられた岑猛は福建行きを拒んで田州に居座り、田州をおさめるはずの謝湖の現地行きを他の土着人たちと共に反対して赴かせませんでした。

その後、岑猛は宦官として権勢を振るった劉瑾に賄賂を送って田州府をおさめる役につきます。

岑猛は賊を討伐するなどして政治的な足場を固めると同時に、広西で土着勢力が起こした反乱を裏で支援したりするのです。
こうした支援は土着勢力への信頼を取ることに大きな役割を果たしたことは想像に難くありません。
危ない橋を渡りながら自身の勢力を拡大していったということですね。

というよりも岑猛は半分好き勝手にやっていたと見た方がいいかもしれません。

岑猛自身、何度か他の土官を勝手に攻撃したりしているんです。
それでいて朝廷へは恭順の意志を示したりするんですからね。


さてさて瓦氏夫人なんですが、恐らくこの時期に岑猛のもとへ嫁いだと思います。
やはり政略的な結婚だったんでしょうか。
詳細はわかりません。


考えられる材料としては…

岑猛は岑濬に敗れて瓦氏夫人の父がいた帰順州へ落ち延びたこと。
瓦氏夫人は岑猛の正妻(第一夫人?)ではなかった。
岑猛と土着勢力との関係。

主なものはこれでしょうか?

多分、岑猛と土着勢力(この場合は岑璋)との関係という色彩が強いかと思います。

夫婦仲はどうだったのかというとですね。
これがかなり良くなかったみたいなんです。

どうも居室を取り除かれたりしていたみたいですから、仲が良いとは言えないと思います。


さて二律背反的なことをしている岑猛ですが、明の朝廷はそんなに甘くはありません。


嘉靖五(1526)年、岑猛討伐の軍が出るのでした。
総数は八万です。

岑猛の軍は敗北し、岑猛は瓦氏夫人の父がいる帰順州へ落ち延びるのでした。

ただ、この状況は岑濬に敗れて落ち延びた時のような状況ではなくなっていたのです。

その原因こそがまさに瓦氏夫人の問題だったのでした。

先ほども述べたように、瓦氏夫人は岑猛から愛されなくなっており、父親の岑璋はこれを恨んでいたのです。


さて、岑猛が帰順州へ行ったのは自発的なものであるように書きましたが、実は誘導されたものであったのです。
明側にとって最も恐れていたことは岑猛が大越(ベトナム)と連合することでした。
明がどうしてこの地域の土官の勢力を中々削れなかった(または削ることを断行できなかった)のかというと、この大越問題があったと言われています。
明は寧ろこの地域の土官を用いて大越に対したと見るべきだろうと…。
ですから明にとってこの地域の諸勢力が大越と結ぶことに対しては警戒しており、この地域の出来事には例えば十万を超す大軍を派遣するなど過敏とも思える反応をしたのも、大越の存在を意識していたとみるほうがいいと思います。

増してや広西に影響力をもっている岑猛が大越と結ばれるとこの地域失う可能性すらありますので、岑猛を大越と切り離し且つ早期に消すことが大事になってきます。

そこで明の討伐軍の将沈希儀は岑璋が自分の娘を冷遇している岑猛に対して恨みを抱いていることを知り、一計を案じて岑猛を岑璋のもとへと行かせ、岑璋に岑猛を殺害させたのです。

こうして瓦氏夫人は不仲とはいえ夫を自分の父親に殺されるという事件に見舞われるのでした。

そしてこれによって岑猛の兵乱は終結するのでした。


な、長い…(T-T)

なんか広西西部の情勢しか書かれていないような…。

次回は瓦氏夫人メインで!(゚Д゚)ノ

書けないかも…(T▽T)

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2009/08/03 00:00 [edit]

category: 瓦氏夫人

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