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もう一つの鉄砲伝来  

この記事は前に似たようなことを書いた記憶があるので微妙に被っている話があると思いますが、そこには触れないでください。


中国に伝来した鉄砲というのはポルトガルから海路で渡ってきたものであるというのは皆様ご存知かと思います。
ですけどほぼ同じ頃にシルクロードを伝って中国へ鉄砲が持ち込まれたという話もあるんです。
しかもその鉄砲はオスマン帝国からの伝来といわれれば興味が沸き…ませんか、そうですか…(T▽T)

興味のない人はこの記事飛ばしてください~( p_q)エ-ン


さて、明王朝の禁軍(皇帝の直属軍)には火器を主に取り扱う軍営がありました。
この軍隊で取り扱っている火器はポルトガル伝来の火器をそのまま複製したものでして、日本のように改良して劇的に性能を上げたというものでありません。
ですから豊臣秀吉の朝鮮侵攻の時に日本軍の鉄砲に悩まされることになりました。
明の将宋応昌という人は日本と戦う前は、鉄砲や刀が優れていることに疑念を持ち、日本軍の強さは武器に熟練しているからであると述べているのです。
しかし日本軍との実戦を経験した後は、日本の鉄砲は性能がよく、これに対するには相手を挑発して弾薬を尽かせてから攻撃するようにとの戦術を指示しています。
これは明と日本の鉄砲に大きな差があったことを示すものじゃないでしょうか。

そうした状況ですから、明側も日本の鉄砲に対抗する新しい火器の導入をする動きが大きくなってきます。
そんな中で誕生したのが『神器譜』で、これは明代の鉄砲研究の代表的史料にもなっております。

そしてこの『神器譜』においてとても優れていると述べられているのがオスマンの銃らしいのです。
らしいというのは、『神器譜』においてこの銃の来歴は、西方出身で錦衣衛(秘密警察みたいなの?)指揮の朶思麻という人から著者がもらったとあり、この朶思麻という人は西方にある国で鉄砲の管理をしていて、銃はその国のものであることが述べられてます。

そしてその西方の国なのですが和田博徳氏の研究によって、その国がオスマン帝国であることがわかりました。
そしてこの朶思麻という人物が鉄砲を持って明へ来たのは嘉靖三十三(1554)年のオスマンの使節の時であるとほぼ断定してます。

この時期のオスマンの統治者は…はい、DOL世界でも(恐らく)オスマンの統治者となっているスレイマン1世です。

この頃の明は海外政策に対して消極的になっておりましたが、オスマンの方はスレイマン治世下の時期ですからオスマン側が明への接触をはかったことは想像に難くないことなのかもしれません。(中国側の記録では1529年の時からオスマンの使節が来ているみたいですし)


オスマンの銃が『神器譜』において西洋の銃よりも優れていると書かれていることは、それなりに優れた物であったんでしょうね。


どうでもいいことですが、『神器譜』のオスマンの鉄砲を撃っている人の絵があるんですけどターバンっぽいのをしていました。
ヨニーって陸戦の武器が銃…これは朶思麻になれる!?(要オスマン亡命)


参考文献
久芳崇「十六世紀末、日本式鉄砲の明朝への伝播」『東洋学報』84(1) 2002年
 〃 「明末における新式火器の導入と京営」『九州大学東洋史論集』36 2008年
和田博徳「明代の鉄砲伝来とオスマン帝国」『史学』31巻1-4号 1958年
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2009/04/11 00:00 [edit]

category: 歴史

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