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Sun.

ミスッた(^□^;)   

予約投稿重複しちゃった!(^□^;) 

また一回分損した(T―T)


何かてきとーなネタを書いて間を埋めよう…。


えっと…今日はある大学に付設された研究所の地下書庫へ行ってきました。

地下書庫というと、前に電気を消されたという一件がありました。

…。

…。

今回も一瞬ですけど消されたました!(T▽T)

どうもこの時期の書庫は誰も入ってこないから開館時間よりも早く閉めるんですね。
というか研究所自体定時で閉館じゃなくて、定時で帰宅ですよ。
閉館時間前なのに研究所の人たち帰りはじめてましたから。

ということで書庫で面白そうな論文を複写してきました~

明代の火器(鉄砲)の導入についてとか…近年のアジアの軍事史が結構注目されるようになったみたいで、東アジアや東南アジアの火器の発達史なども研究されるようになっている…らしいんですよ。

アジアって(アジアに限らずなんでしょうけど)、大航海時代の頃から戦乱が頻発するようになってますよね。
明にしてみれば北方の遊牧民に対する問題の他にも東アジア沿岸での倭寇活動も深刻な問題になってましたし、日本も戦乱の時代ですし、東南アジアだって東南アジア各国の他に明やヨーロッパ諸国・それにオスマンなんかも出てきて争いをしてますから…。

こんな状況になってますから、火器の需要や発達に追風になっていたのかもしれませんよね~

そうなるとアジア諸国で火器をより性能の良いものへと発達させたことは無理のないことなのかもしれません。
ベトナムにおいて黎朝鄭氏と阮氏の南北の争いでの優れた火器の使用は世界中(大袈裟)が注目しましたし、戦乱の時代を経験した日本の鉄砲は秀吉の朝鮮侵攻で明に日本の鉄砲をはじめ性能の良い火器の導入を最重要視させました。
(詳細はわかりませんが、なんかオスマンの銃も明に伝わったらしいんですよ)

火器の導入によって戦い方が変わったというのはその通りだと思います。
では他に何か変わったもの、つまり社会的にどんな影響があったのかということに私は興味あるんです。
だって、戦いだけだったらなんか軍事ヲタっぽいし…(問題発言)

そこでこの前読んだ論文が非常に面白かったです。
相田洋氏の「春画と厭勝」というものなんですが…。

…。

…。

ちょっと待ってええええええ!
確かに春画ってありますけど、別に春画が目的で読んだんじゃないんですよ!(T▽T)
本当ですよ!
信じてください!!(T▽T)

なんかここ最近、私がエロキャラみたいになっているんですけど…orz


と、取り敢ず話を戻します。
火器がより軍隊に導入されることによって、反乱軍と鎮圧軍(政府軍)の間の戦力差が大きく開くことになるんですよ。
そして反乱側ではその差を埋めるものとして呪術とかに頼るようになるんですよ。
それの最も古い例が日本軍と戦った直後の明軍が鎮圧した楊応龍の乱なのではないかと。
ほら、戦時中の日本でも女性の陰毛がどうのとかありましたから、これもその類??

これ以後の反乱とかってかなり宗教色があるのはそういうのも原因なんですかね…。
昔から反乱側は宗教色たっぷりですけど。

結論、私はエロキャラじゃない!!


参考文献(本当は見ないでてきとうに書くつもりだったのに…)

相田洋「春画と厭勝」 『中国中世の民衆文化』中国書店 1994年
孫来臣(中島学章訳)「東部アジアにおける火器の時代:1390-1683」
             『九州大学東洋史論集』34 2006年
久芳崇「十六世紀末、日本式鉄砲の明朝への伝播」『東洋学報』84巻1号 2002年
 〃  「明末における新式火器の導入と京営」『九州大学東洋史論集』36 2008年
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2009/03/29 00:00 [edit]

category: 歴史

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