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中国に伝わったトウモロコシ  

大航海時代によって中国に流入してものは結構あります。

一番はやっぱり銀ですけど、今回はちょっと農産物について。

アメリカ大陸の農産物であるトウモロコシやジャガイモ・サツマイモ・ピーナッツ・トマト・唐辛子・タバコなんてものはDOLの交易品として売られてますよね。

中国へも当然ながら流入して栽培されてます。
いつ頃どういうルートで入って来たのかは不明なんですけど、どうもインドから陸路雲南の方を通って来たのではないかといわれてます。
他にも太平洋を渡って来たとか言う話もあるし、スペインからメッカに運ばれて中央アジアルートで持ち込まれたという説、それ以前にもっと前からアジアにあったという説もありますけど、今回は敢えて伏せますw
文献から中国で最初に確認されたトウモロコシは1555年の今で言う河南省にあった県の記録らしいです。
この県では最初トウモロコシが珍物で、皇帝にも献上されたことから「御麦(御麥)」と呼ばれていたんですけど、その後同音の「玉黍」と書かれるようになったとか。
ほぼ同時期に雲南でも栽培されていることからトウモロコシ栽培がかなり広範囲に渡っていたのか、別々のルートから来たのか…。

話は変わりますが、千数百年以上中国の人口は1億にいくことはなかったとされてますが、18世紀に入って1億を超えて、その後百年くらいで4億近い人口になってます。
もちろんこれは食料生産増加によって急激に人口が増えたとするよりも戸籍に記載されているどうかというシステム的な面が大きな原因であろうと思いますが、農業生産も少なからず人口増加を担っていたであろうことは予想できます。

そこで登場するのがアメリカ大陸原産の農作物です。
トウモロコシとかジャガイモですよね。

ただ、トウモロコシやジャガイモが栽培されたからと言って、中国ではそれらよりも遙かに多量の収穫が見込める技術のある稲があります。(但し、撒いた種とその収穫量の比率である収穫率だとトウモロコシの方が優れているとされています)
メンドーサの『支那大王国誌』には中国で大量のトウモロコシが生産されていると数字付きで書かれていますが、かなり疑わしいんですよ。
実際、農政全書や本草綱目(トウモロコシについての記述は両書にちゃんとありますよ)を見てもそんなこと書かれてないし…。

中国における農業生産の爆発的な発展は稲作生産の飛躍的向上で、トウモロコシやジャガイモが入ってくるよりも前の宋の時代に起きております。
もともと古代中国での主要な穀物の中に稲は数えられてなかったのですが、明の末にできた『天工開物』に天下の人が作っている穀類の七割は稲であると書かれておりますので、中国では稲作の急速な発展が農業生産に大きな変革をもたらしたと言ってもいいとおもいます。
農業技術という点でもそうですし、調理技術という点から見ても中国の人の食卓に長い間居座り続けていたお米さまの位置に、いきなり登場してきたトウモロコシが取って代わるなんてことは難しかったでしょう。

そういうことで中国での農業発展の最大の時期はアメリカ大陸の農産物が入ってくる数百年前なんです。
ですけど人口が明清代に爆発的に増加する一つの遠因がトウモロコシ(あとはジャガイモとか)などにあったのではないかという見方があります。

さっきから話が行ったり来たりで定まっていませんが、簡単に言えば移住・入植です。
多量の収穫が見込める稲作なんかは良い土地や灌漑施設がないと中々できませんし、それらを作るにも時間がかかります。
つまり、稲作が難しい土地では救荒作物ともいわれるトウモロコシなどを栽培するしかなかった。
結局主役は稲じゃないかと…トウモロコシやイモを主な作物としているところもあるんですけど、やっぱり稲作の難しい土地ですしね。
でもほら、ピルグリム・ファーザーズだってトウモロコシで救われたんですから…。

特に蜀(四川)への移住でこうしたことがあったみたいです。
トウモロコシを漢字で「玉蜀黍」って書くのもそこから来ている!?
って、この字は多分「蜀黍(ソルガム・高梁・モロコシなどと呼称)」からきてますよね。
蜀黍については王禎の『農書』にその種が蜀からもたらされたからそういうふうに呼ばれるようになったことが書かれてます。
中国の文献において蜀黍を記した最古のものは張華の『博物志』とされ、「げぇ!孔明!」のちょっと後の時代のものです。
前漢の頃の遺跡から蜀黍らしきものが発見されたこともあるので、アフリカ起源の蜀黍が東へ伝わり、インドから東南アジアを経て中国へ漢の時代の頃には伝わっていたとみていいのでしょうかね。
はい、これはトウモロコシの話ではありません。


トウモロコシって保存が難しいですから余った分はお酒にしたり、豚の飼料へとなります。
つまり長期保存ができないということは、農業による人口増加を結びつける理由としてはトウモロコシなどは少し説得力がないということなんです。
むしろ例えばトウモロコシのお酒や豚を売って当面の生計を立てるという商業活動を可能にさせるためのインフラなどが重要になっているのでは…

勿論、救荒作物としてのトウモロコシは優れていないわけではありません。
収穫率で言ったらイネよりも上と言われてますから。
それまでのように飢饉によって飢える人を減らし、社会を安定させることに一役を担ったものであることは、四川地域の農業が比較的に困難な山岳地帯でトウモロコシが多く栽培されていることからも窺えます。
これだけでも大きな役割です。

まあ、何にせよ明代からの人の移住と中国の人口増加がどうも繋がっているようだということでこの時代の大きな問題になっています。
そしてその移住においてトウモロコシが多く栽培されていたということなのです。
ただそれだけなのです。

ですから、もっと勉強しないとこの問題は立ち入れないというのが結論です(T▽T)←ダメ人間


参考文献
宋応星撰 藪内清訳 『天工開物』 平凡社(東洋文庫) 1969年
天野元之介 『中国農業史研究』 お茶の水書房 1962年
安野省三「『湖広熟すれば天下足る』考」
      『木村正雄先生退官記念東洋史論集』 汲古書院 1976年所収
内林政夫「コロンブス以前の中国のトウモロコシ」『薬学雑誌』 126(1) 2006年
川勝守 「明清農業論」 『明清時代史の基本問題』 汲古書院 1997年所収
高宮太郎「十六世紀の南支と玉蜀黍」『学證』vol.52 1955年11月号
山田賢 「長江上流域の移住と開発-生成する「地域」-」
      『明清時代史の基本問題』 汲古書院 1997年所収
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2009/03/18 00:00 [edit]

category: 歴史

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